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28 May 2009

Mezquita of Cordoba

メスキータ:コルドバ、スペイン

長年見たい願望にかられていた「メスキータ」をやっと訪れる事が出来ました。「メスキータ」は映画ではなくてスペインはアンダルシア州コルドバにあるカトリック教会の司教座聖堂の「コルドバの聖マリア大聖堂」です。セルビアとマラガにちょっくら用事があったのでコルドバまで足を伸ばしました。イスラム文化とキリスト文化が融合したというよりも無理矢理キリスト文化がイスラム文化を乗っ取った、モスクがキリスト教会になってしまったというメスキータ、スペイン語でモスクという意味だそうです。

西暦700年頃イスラムの西ゴート王国が南スペインを制服、784ADにこの巨大モスク、メスキータの原型が建設され、後1236年にフェルナンド3世がコルドバ攻略を始め、レコンキスタによってカスティージャ王国がコルドバを再征服すると、メスキータはカトリック教会の教会堂に転用され、16世紀にゴシック様式とルネッサンス様式の教会がメスキータのど真ん中に建設されたという歴史背景です。写真を見て頂ければ分かりますが、中はイスラム様式のモスクでその中心にいきなりキリスト教会(写真右)があるという、とても不思議ななんともいえない幻想的な作りです。ある意味キリスト教の傲慢さを見せつけられる場所でもあります。外はからっと太陽が照りつけるたちまち日焼けしてしまう真夏ですが、中はヒヤッとした空気で精神的にも緊張してしまいます。

コルドバもセビリアも建築物などにイスラム色が強く残っているので、なんとなくモロッコに来たような気にもなります。




いやーそれにしても毎晩見事にタパスを食べまくりました。一件のバーでタパスを1〜2皿頼んで次のバーに移動してと一晩で5件位回っていた様な。おまけで天井にかざってあるイベリコ・ハモンの写真。あまりにもスペイン料理を食べ過ぎでロンドンに戻った夜は迷わずざるそばでした。スペインには祝賀会に呼ばれて行ったのですが、それにしてもこの国は夜行性ですね。夕食は夜9時くらいからはじまり宴は夜中3時過ぎまで続く状態です。最近はオフィスなどは通常の9〜5時勤務になっているらしく、とは言いつつもシエスタ文化は抜けきらずとの事で子供、大人、社会、サービス業などの時間帯が合わずに結構大きな社会問題になっているそうです。

毎度の事ですが、真夏のギラギラした太陽の国から戻ったロンドンはやはり肌寒い曇り空でした・・・。

30 June 2008

Spain

Tossa de Mar, Girona, SPAIN

週末にちょっと用事があったのでスペインのTossa de Marへ行ってきました。ロンドンとは打って変わってここは真夏!!バルセロナから約1時間半の海岸沿いの街、カタロニア地方です。知り合いのお宅に泊まったのですが、丘の上にありカタロニアの海が一望でき、いいですねぇ、こんな処に住んで毎朝海が見渡せるなんて!気分は「軽蔑」のブリジッド・バルドー!(舞台はカプリ島でしたね)朝食はテラスで食べて、昼ご飯は2時位から街のレストランでタパスをつつき、お腹いっぱいになって時計を見ると既に4時。普通の店は1時から5時まで閉まっており夕方再開。のらりくらりと昼食の後はシエスタ、で夜9時くらいから夕食。
うらやましい限りのこのパターン、君達そんな生活いつもしてるの???と知り合いのスペイン人に聞くと「そう、毎日ね、リタイアしたら」とやっぱり老後はこの地は最高かもしれません。まあ昼は本当に暑いのでこういう生活パターンになるのでしょう。ロンドンにいると、どうも魚介類の料理はフィッシュ&チップスとあまり豊富ではありませんが、ここは天国!安くて美味しい魚介類が豊富です。週末という事もあり、ビーチは人で溢れ、海にはヨットが沢山プカプカと浮いてました。勿論ここはヨーロッパ、トップレスの人も多く居ます。

翌日はバルセロナの予定でしたが、あまりにもの猛暑と観光客で溢れているだろうとの事で急遽Gironaに変更。ここはなんともかわいい中世っぽい街です。とはいっても建築物はアラブとローマの影響でとてもエキゾチックな風情だけどスペイン特有のアート的な感覚も入っています。スペインのカルチャーはホント面白いですよね、キリスト教、ローマ、アラブと全てが入り混ざってます。南部のセビリアの方はこのアラブの影響が著しく、アラブが支配していた当時にモスクが多く立てられ、その後キリスト教がアラブを追い出し支配しモスクをそのまま無理矢理キリスト教教会にしてしまった、なんとも奇妙な建築物が多くあるそうです。次回は是非このセビリアに行ってみたいものです。

ほんの短期間でしたが、とっても癒されました。夜ロンドンに戻って来ると、やっぱり肌寒ーい。ああ悲しいや〜〜〜。ロンドンに夏がやってくる事を祈るばかりデス。

18 March 2008

Israel

Jerusalem & Tel Aviv, Israel

イスラエルはエルサレムとテル・アビブに行って参りました。ある祝賀会に招待され1週間弱という日程。他のアラブ諸国と似て雑然としているかと思いきやこの2都市はゴミ一つ落ちておらずとても奇麗。テル・アビブは現代都市、一方ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の3大宗教のホーリーサイトのエルサレムは至る所に古代都市の面影を残していました。

テル・アビブの飛行場Ben Gurion からエルサレムまで車で約40分。イミグレーションが厳しと聞いていましたが全く問題なしでスムーズに入国。心地よい空気、オリーブやオレンジが茂る丘陵地を車窓から見ているとゼッフェリーニの「ナザレスのキリスト」やスコルセッシの「最後の誘惑」のシーンを思い出します。20分程車で走ると渋滞に突入、トロトロと進むと車道脇に真っ黒焦げになった大型バスを発見。テロなのか事故なのか、そうだ、ここはイスラエルだったと改めて認識。そういえば先週はエルサレムの学校で銃撃戦があり数十名が亡くなり、ガザからは今でもロケット弾がぶっ飛んで来ていて大中東戦争になってもおかしくない状況。しかしながら滞在中エルサレムやテル・アビブでは全くその危険性は感じられません。エルサレムには夕方到着。ホテルの窓からは幻想的な旧市街と城壁が見れます。その後市内で夕食に出かけ少しながら周辺を探索。新宿?とまではいきませんが、とてもにぎわっておりカフェやバーやライブハウスやレストランが立ち並んでいて若者で溢れていました。下北沢の様な???感じでしょうか。まあ大きく違うのは、マシンガンを持った兵士が至る所で警備している事です。

写真はオリーブ山からの旧市街の眺め。旧市街は城壁に囲まれ8つの門からしか中へは入れません。 この城壁は1537〜41年までこの地を支配していたオスマン朝のスライマーン1世により再建されたものです。オリーブ山一体はユダヤ人の墓地で埋め尽くされています。「シンドラーのリスト」の最後のシーンで見られた様に各墓地の上には石が置かれています。金色のドームはアル・アクサモスクの岩のドーム、ここからイスラム教のムハムンドが旅発ったといわれ、その真横にはかつてのユダヤのエルサレム神殿の一部嘆きの壁があり、
キリストが十字架を背負って歩いたVia Dolorosaがあり(現在はスークになってます、写真)そして処刑されたゴルゴダの丘には現在教会が建っています。この教会はなんとも洞窟のような原始的な作りですが今まで見た教会の中では一番印象に残るものでした。というようにこのエルサレムの旧市街0.9km² の区画にこの3大宗教の聖地が処狭しと隣接しています。今までイスラエルとパレスティナがこの区画を巡って交渉、決裂してきた訳ですが、実際にこの地域を見てみると、道一本隔てた領地を争っているという非現実的であり非常に難しい交渉という事が実感出来ます。
嘆きの壁は男女別れておりユダヤ教信者は一生懸命に壁に向かってお祈りをしています。また一般の人々は願い事を紙に書いて壁の隙間に入れています。女性サイドで写真を撮っていたら30代の女性が近寄って来て写真を撮ってと頼んできました。この魅力的な美人な女性、29歳で旦那さんを戦争で亡くしその後2人の子供を育てており、再婚を願ってこの「嘆きの壁」に来たとか。私と同行していたイギリス人女性がこの女性の写真を撮ったのですが、ロンドンに戻ったら友達に見せようと言っていました。もしかしたらここから出会いが始まるのかも・・・?

ホロコースト・ミュージアムはさすがスケールがすごい。ワシントンDCのホロコースト・ミュージアムに以前行った事がありますが、この2つのミュージアムの大きな違いは規模もありますが、エルサレムの方では第2次世界大戦のその後のユダヤ人、イスラエル建国について取り扱っている処です。今回イスラエルで出会った人達の大半は祖父母や親類をホロコーストで亡くしている人が多かったせいか、感慨深いものがありました。

現在イスラエル/パレスティナ問題が益々激化しています。ここでこの問題について語るにはあまりにも難しすぎますが、私が出会ったイスラエルの人々は皆左思想でパレスティナとの平和交渉を望んでいました。しかしながら皆口を揃えて出口が見つからない状態とも言っていました。パーティーで話した医者は来る前に銃撃戦で負傷した兵士を手当てしていたそうで、またイスラエルの病院はパレスティナ/イスラエル人関係なく治療しているとの事でした。ある女性は、論理的には隔離壁の撤去を支持するが現実的には撤去は難しいと嘆いていました。この女性には子供が2人おり、子供達は公共のバスなどに乗る事、テロがいつおこるかわからないという状況に脅えているからだと。一方超右翼思想はラビンの暗殺された日を祝っているそうでイスラエル内でもタカ派とハト派での温度差がかなりあるそうです。根が深いこの問題、解決までに時間はかなりかかると思いますが(解決出来ないという悲観的論争が最近は強いですが・・・)けっして諦めないで交渉を続ける事が重要だと感じます。今まではニュースでしか知らなかったこの問題、実際に現地の人々の声が聞けて視野が広がったような気がします。

17 August 2007

Splugen, Switzerland

バケーションと仕事に忙殺されて映画を観に行く時間がなかなかないこの頃。(あまり理由になってません?)久々のブログアップです。

「Splugen/シュプルーゲン」とは映画のタイトルではありません。スイスの南部、イタリア国境沿いにある村の名前です。ここに10日間程行って参りました。山歩きなんて私の趣味じゃないんだけど・・・。

飛行機でチューリッヒまで行き、そこからライン河に沿って電車に揺られて1時間半。思いっきり写真を撮り忘れたライン河は源流であるがためどちらかといえば湖みたくエメラルド色で優雅な情景を放ってました。

クールという街というか村に到着。ここでバスに乗り換え、ようとしたがシュプルーゲン行きの最終バスはすでに出てしまっていた。駅の人からあと5分で出発する電車に乗って?という村で降りて、そこからバスに乗れと指示され、構内をダッシュしてギリギリ電車に搭乗。さすがスキーがさかんなスイス、このローカル電車にもちゃんとスキー板を立てかけられる箱がそなえつけてありました。車窓からはおもちゃ箱のようなスイスの典型的な家屋が見えてきます。山も険しくなりすごい、頂上には万年雪。で?という駅につき、そこからバスで約45分でシュプルーゲンに到着。「ヨーデリロリロ〜〜〜」と聞こえてきそうな可愛い村です。ここで既に到着していた友人達とフラットで合流。

翌朝すごい騒音で目が覚める。窓から外をみると放牧している牛達がのそのそと移動している。各牛の首にはベルがついている。これが何十頭といっせいに動けばベルの音も凄い!牛騒音。朝早くから起こされたので村のパン屋に行って焼きたてのパンを買いに行く。このパンが美味い!(結局これが毎朝の日課となりました)ヨーグルトやチーズも美味く、あと地元ソーセージやハム類も絶品。チーズ・フォンデュの地元スイス、チーズ屋でフォンデュ用のチーズを色々ミックスしてもらいましたが、これはすごいワインの味だった。おっと、いつのまにか食べ物の話になってしまいました。


山歩きには2日だけ参加した私。初めて買ったハイキングシューズもこの調子だとあと20年持つ事間違いなし。山奇麗でしたよー、牛、ヤギ、マーモットも出現しました。


私の一番のお気に入りの過ごし方は、イタリアランチツアー。バスに乗って20分で山頂にあるイタリア国境/カスタムに到着。ここから山を下っていくと眼下にはイタリアの村々が出現。お固いスイス・ジャーマンから一気にラテンの風!「ボンジョルノ、コメバ?マンジャ、マンジャ」とどんより暗ーいスイスジャーマンから明るいイタリアの空気。なんでこんなに違うのかしら?お隣どうしなのにこの国民性の違いは一体どこからくるのだろう???でイタリアンのランチして、村を探索し、夕方バスに乗ってスイスに戻るというパターンです。

夏だと山歩きになってしまうので、スイスはやっぱり冬のスキーシーズンがいいですね。特にAprès-ski! どうも性格上ハードワークよりものんびりお遊び系です。

3 April 2007

Morocco

Marrakech/Quarzazate/Ait benhaddou/Skoura/Mezruga

「モロッコ」というとマルレーネ・ディエトリッヒと直ぐ連想出来ますが、今回は映画には関係ありません。モロッコに初めて行って来たのでその旅行記を少し。

初のアフリカ大陸、モロッコはとにかく面白い国だった。マラケシュから入ってレンタカーでワルザワール〜スクオーラ〜メルズーガ〜サハラ砂漠〜マラケシュと回ってきました。マラケシュはとにかく怒濤の街。人、バイク、ポンコツ車、馬車、ロバが交通規則に関係なく縦横無尽に行き交い、道ばたでは野菜や日常品のマーケットが開かれ、物乞いがうろうろし、タクシーを降りるとガキが直ぐにやってくる。道を歩けばすぐに「今日はブルーマンが15日に一度来る日だ」といつのまにかぐるぐると道案内され最終的にカーペット屋に連れて行かれ、カーペット屋ではミントティーを出され色々とカーペットやブルーマン(サハラの行商人)について一方的に説明され、心の中ではう〜ん、
こんなに丁寧に説明してもらっても客をまちがえているなぁ〜と思いながらも取り合えず説明をうんうんと聞き、殆ど分からないフランス語なのでだんだんと眠くなり、買わずに外に出るとまた怒濤の世界に逆戻り。そしてスークに入るとどこまでも続く迷路の世界でまた頭クラクラ。一方宿泊した昔の豪邸を改造しB&Bになっているリヤドに入ると外の喧騒と打って変わっての静けさでやれやれ、ミントティーを飲んでやっと一息。

マラケシュから出ると紀元前を彷彿させる世界。ワルザワールに行くにはアトラス山脈を超えていく。この山道は今まで経験した事のない険しい道で、高度恐怖症の私はかなりびびってしまった。山脈を超えた所でボンネットを開けた車の横でモロッコ人の青年が手を振っていたので停まったら車が故障したのでワルザワールまで乗せていってほしいと頼まれた。ワルザワールに行くまでにアイトベンハッドウというユネスコ指定の要塞に行くから他をあたってと伝えると、おじさんがアイトベンハッドウの近所にいるからメッセージを渡してほしいとメモを手渡された。アイトベンハッドウに到着し住所にある道に行くと丁度男性がうろうろしていたのでメモにある名前の所在を尋ねるとみごと青年のおじさんであった。メッセージを手渡すとお礼にミントティーを飲んで行けと招待された。このおじさんもブルーマン、1時間程色々話した後彼の商品とかを見せてもらった。「買ってけ」といわれるかなぁと予期していたが、アイトベンハッドウの観光を済ませて又帰りに寄って行けといわれ、帰りによったらやっぱり「これはどうだ?」と商売をはじめたので、貧乏だと断って帰って来た。どうもこの人達は商売をしないと気が済まないらしい。路上の故障した車の青年も実は芝居じゃないのかなぁと疑っていたら「君はNY生活が長過ぎる」と相棒に釘を刺されてしまった。まあおじさんの個性的なキャラも楽しんだのでどうでもいいかぁという気分であった。ちなみにアイトベンハッドウはリドリー・スコットの「グラディエーター」や「スターウォーズ」の撮影現場に使われています。現在でも7組の家族が実際に住んでいるそう。

一度この山道を超えると後はサバナ地帯が永遠に続く。道沿いにはカスバ(古城)やオアシスが転々と現れる。ワルザワールには東映太秦映画村のようなフィルムスタジオがあり、ここではスコセッシの「クンドュン」、「グラディエーター」そしてフランス映画の数々が撮影されたそう。人件費や物価が安いモロッコで撮影すると制作費をかなりおさえる事ができるんだろうなぁーと納得。雨も滅多に降らないから天候も心配する事もない。ワルザワールはデビッド・リーンの「アラビアのロレンス」の撮影拠点にもなった所です。

ワルザワールドを後にして一路砂漠へと向かって走ると徐々に砂埃の世界に。道もないがらんとしたサバナ地帯を走って行くとサハラ砂漠の入り口、メルズーガに到着。街と言ってもなにもない、砂漠の前に建物がポツンと5km毎に4件程立っているだけ。夕方ここに到着してさっそく砂漠の中を歩き出したらブルーマン2人が「化石売りだ」と言ってどこからともなく寄って来た。まあ化石くらいかってもいいかなぁと思いながら砂漠の虫やなんやかんやを案内してくれる2人に付いて行く。そして最後帰ろうとするとリュックサックの中からやおら化石を取り出した。その中
の一つ選ぶと一人が「いやー僕の相棒は従弟で家族だから僕のだけじゃなくて従弟も買わなくてはいけないよ」という「???」「一つしかいらないよ」「家族のも買って」「うーん、でも一つしか買わない」「僕のを買うなら従弟のも買って」と砂漠のど真ん中腰を下ろして延々30分も云々。最後には4人で寝っころがりながら商売とはどういうものかをこの若いブルーマンに説明したが、やっぱり最後には「僕のを買うのなら従弟のも買う事」に行き着いてしまう。これを何回繰り返しただろう?君粘り強いから大阪に行って商売はじめた方がいいよと言ってあげた。で結局最後に彼らの写真を撮ってあげて化石一つお買い上げで落ち着いた。


という具合にモロッコは愛嬌たっぷり(?)の現地民との交流もありなかなか興味深い旅となりました。写真を撮るのを思いっきり忘れたモロッコの食事もなかなかいけます。モロッコ風サラダ、タジン、ケバブ、クスクスととてもさっばりしたロハスですね。あとミントティーも美味しかった。アフリカ/モロッコ・アートや民芸品、スパイスがとても安いので好きな人には最高のショッピングの地です。私はアフリカン・アートが好きなので、NYやロンドンだと馬鹿高いアートの数々を数十倍の安さで買えたのがとっても魅力的でした。