18 March 2008

Israel

Jerusalem & Tel Aviv, Israel

イスラエルはエルサレムとテル・アビブに行って参りました。ある祝賀会に招待され1週間弱という日程。他のアラブ諸国と似て雑然としているかと思いきやこの2都市はゴミ一つ落ちておらずとても奇麗。テル・アビブは現代都市、一方ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の3大宗教のホーリーサイトのエルサレムは至る所に古代都市の面影を残していました。

テル・アビブの飛行場Ben Gurion からエルサレムまで車で約40分。イミグレーションが厳しと聞いていましたが全く問題なしでスムーズに入国。心地よい空気、オリーブやオレンジが茂る丘陵地を車窓から見ているとゼッフェリーニの「ナザレスのキリスト」やスコルセッシの「最後の誘惑」のシーンを思い出します。20分程車で走ると渋滞に突入、トロトロと進むと車道脇に真っ黒焦げになった大型バスを発見。テロなのか事故なのか、そうだ、ここはイスラエルだったと改めて認識。そういえば先週はエルサレムの学校で銃撃戦があり数十名が亡くなり、ガザからは今でもロケット弾がぶっ飛んで来ていて大中東戦争になってもおかしくない状況。しかしながら滞在中エルサレムやテル・アビブでは全くその危険性は感じられません。エルサレムには夕方到着。ホテルの窓からは幻想的な旧市街と城壁が見れます。その後市内で夕食に出かけ少しながら周辺を探索。新宿?とまではいきませんが、とてもにぎわっておりカフェやバーやライブハウスやレストランが立ち並んでいて若者で溢れていました。下北沢の様な???感じでしょうか。まあ大きく違うのは、マシンガンを持った兵士が至る所で警備している事です。

写真はオリーブ山からの旧市街の眺め。旧市街は城壁に囲まれ8つの門からしか中へは入れません。 この城壁は1537〜41年までこの地を支配していたオスマン朝のスライマーン1世により再建されたものです。オリーブ山一体はユダヤ人の墓地で埋め尽くされています。「シンドラーのリスト」の最後のシーンで見られた様に各墓地の上には石が置かれています。金色のドームはアル・アクサモスクの岩のドーム、ここからイスラム教のムハムンドが旅発ったといわれ、その真横にはかつてのユダヤのエルサレム神殿の一部嘆きの壁があり、
キリストが十字架を背負って歩いたVia Dolorosaがあり(現在はスークになってます、写真)そして処刑されたゴルゴダの丘には現在教会が建っています。この教会はなんとも洞窟のような原始的な作りですが今まで見た教会の中では一番印象に残るものでした。というようにこのエルサレムの旧市街0.9km² の区画にこの3大宗教の聖地が処狭しと隣接しています。今までイスラエルとパレスティナがこの区画を巡って交渉、決裂してきた訳ですが、実際にこの地域を見てみると、道一本隔てた領地を争っているという非現実的であり非常に難しい交渉という事が実感出来ます。
嘆きの壁は男女別れておりユダヤ教信者は一生懸命に壁に向かってお祈りをしています。また一般の人々は願い事を紙に書いて壁の隙間に入れています。女性サイドで写真を撮っていたら30代の女性が近寄って来て写真を撮ってと頼んできました。この魅力的な美人な女性、29歳で旦那さんを戦争で亡くしその後2人の子供を育てており、再婚を願ってこの「嘆きの壁」に来たとか。私と同行していたイギリス人女性がこの女性の写真を撮ったのですが、ロンドンに戻ったら友達に見せようと言っていました。もしかしたらここから出会いが始まるのかも・・・?

ホロコースト・ミュージアムはさすがスケールがすごい。ワシントンDCのホロコースト・ミュージアムに以前行った事がありますが、この2つのミュージアムの大きな違いは規模もありますが、エルサレムの方では第2次世界大戦のその後のユダヤ人、イスラエル建国について取り扱っている処です。今回イスラエルで出会った人達の大半は祖父母や親類をホロコーストで亡くしている人が多かったせいか、感慨深いものがありました。

現在イスラエル/パレスティナ問題が益々激化しています。ここでこの問題について語るにはあまりにも難しすぎますが、私が出会ったイスラエルの人々は皆左思想でパレスティナとの平和交渉を望んでいました。しかしながら皆口を揃えて出口が見つからない状態とも言っていました。パーティーで話した医者は来る前に銃撃戦で負傷した兵士を手当てしていたそうで、またイスラエルの病院はパレスティナ/イスラエル人関係なく治療しているとの事でした。ある女性は、論理的には隔離壁の撤去を支持するが現実的には撤去は難しいと嘆いていました。この女性には子供が2人おり、子供達は公共のバスなどに乗る事、テロがいつおこるかわからないという状況に脅えているからだと。一方超右翼思想はラビンの暗殺された日を祝っているそうでイスラエル内でもタカ派とハト派での温度差がかなりあるそうです。根が深いこの問題、解決までに時間はかなりかかると思いますが(解決出来ないという悲観的論争が最近は強いですが・・・)けっして諦めないで交渉を続ける事が重要だと感じます。今まではニュースでしか知らなかったこの問題、実際に現地の人々の声が聞けて視野が広がったような気がします。

4 comments:

Anonymous said...

こんばんは!
イスラエルに行かれたのですね!
ヨーロッパ〜は簡単に行けそうですが、日本から行くとなると...ツアーとかもアルかも知れませんが、多分この地は生涯踏めない気がしたりしております。
“嘆きの壁”願い事を紙に書いて壁の隙間にいれて...
の映像は見たことありますね。
ホロコースト・ミュージアムって...さすがイスラエル!

>今まではニュースでしか知らなかったこの問題、実際に現地の人々の声が聞けて視野が広がったような気がします。
素晴らしい旅をされたCCさんがうらめしやでございます。

claudiacardinale said...

マルゴ嬢、いやいやいや是非行ってみてください。そういえばエルサレムでは全くという程日本人とは遭遇していなかったのですが、「Tomb Garden」というキリストの遺体が置かれていただろう候補ナンバー2の場所では(エルサレムに候補が3つ程あるのです)いきなり日本人の団体客。話しかけてみるとキリスト教団体の方々でした。そういうのが絡んでないとなかなか行かない場所ですよね。でもテル・アビブは結構国際都市でフィルムフェスティバルなんかよくやってるようですよ。丁度友人のドキュメンタリーが2つ映画祭で上映されるのを聞いた処でした。

Anonymous said...

Bianca:先日はご来訪有難うございます。イスラエルへいらしたのは、ccさんご自身だったの?お友だちと間違えていました。Margotさん同様、うらやましい(ウラメシイ)です。中東で整然・清潔な町並みだなんて、信じられません。アラブ系の住む区域ではまた違うのでは・・とあくまで疑り深いわたし。日曜学校でさんざん紙芝居など見せられましたので、エルサレムは懐かしい響きの町なんですよ。とにかく、早く平和が来て欲しいですが、この分では絶望的になりますね。だって自分の家族内でさえ難しいですものね。無名で投稿してみますが成功するか?

claudiacardinale said...

ビアンカさん、投稿成功していますよ!!久々のビアンカさん、こちらも嬉しいでございます。Welcome Back!!

そう、エルサレムですが、アラブ地区はおっしゃる通りやはりアラブらしかったです。とはいいつつ他のアラブ諸国に比べると断然清潔だと思うんですが・・・。多分ウエスト・バンクに行くともっとすごいんじゃないかしら。今は危ないという事で結局行けませんでしたが。エルサレム旧市街のスークもユダヤ地区とアラブ地区ではやっぱり違いました。ユダヤ地区の方が建物なんかも新しくお金がかかっているという感じ。一方アラブ地区はやっぱ下町情緒ですがゴミ一つ落ちていなく清潔でした。富の差は一目瞭然でした。